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夜は、未知の世界だった。
父とルルアンタと旅をしていた頃は、野宿がほとんどで、
宿屋で休める日は三人で夕食を囲み、そして就寝。
夜にも夜の世界があると知ったのは、冒険者になってからだった。
いや、厳密に言えば、恋をしてからだった。
宿屋の一室のバルコニーから、夜の世界を眺める。
夜空に浮かぶ月や星は、あの頃眺めていたのよりも見えにくいな、と思った。
しかし、夜の風が肌に心地良い。
ふわふわと、夜風が胡桃色の髪を撫ぜる。
ふと、女の笑い声が聞こえて下に目をやる。
「…あ。」
ゼネテスだ、ユラテは心の中で呟いた。
咄嗟に、しゃがみこんで身を隠す。
バルコニーの隙間から窺うと、ゼネテスとその隣には質素ながらも着飾った女性。
(誰だろう…。)
腕を絡め、親しげに話すあの女性は。
胸の奥がもやもやする。
二人の姿を目で追う。
胸の奥のもやもやは、止まらない。
やがて二人は、宿屋前を通り過ぎ、広場の方へと消えていった。
(追いかけよう。)
立ち上がり、部屋の中へ駆け込んだ。
「あれ?ユラテ、どこに行くの?」
ルルアンタが尋ねる。
「え、えっと、ちょっとお散歩!」
「こんな時間に?――早く帰ってきてね。」
「うん!」
逸る気持ちを抑えられない。
嫌な胸の鼓動を感じながら、ユラテは宿屋を飛び出した。
広場を過ぎた、スラム街。
昼間の様子とはうって変わって、夜の姿は灯りが一面を照らしている。
光と闇のコントラストが、夜の町並みとは違う印象を与える。
その中を、軽装の少女がふらふらと歩く姿は異様だった。
酔っ払った男達が、好奇の目を向ける。
ユラテはその視線を感じつつ、ゼネテスの姿を探した。
「あら。可愛い子ね。こんな夜中にどうしたの?」
一人の女性に声を掛けられた。
女性の後ろには、数人の女性がいた。
どの人も、赤い口紅をつけ着飾っている。
同性の人間だという安心感から、ユラテはほっと溜め息をついた。
「人を探しているの。」
「だあれ?お父様かしら?」
くすくすと後ろの女性達が笑う。
ユラテは微かに首を傾げた。
「…ゼネテス、っていう人。」
「あなた、ゼネテスの妹さん?」
首を振る。
後ろの女性達は、相変わらずくすくす笑っている。
目の前にいる女性も、赤い口紅を曲げて艶やかな笑みを浮かべている。
バルコニーから見下ろした、赤い口紅を思い出した。
――嫌な感じ。
ユラテはその場から立ち去った。
耳からは女性達の笑い声、脳裏からはあの赤い唇が焼きついて離れなかった。
宿屋に戻ると、ルルアンタは先に眠っているようだった。
ユラテのために、サイドボードのランプだけが灯されている。
ほっと大きな溜め息をついた。
音を立てないようにベッドへと近づき、もぐりこんだ。
「おかえり、ユラテ。」
一瞬、どきりと心臓が飛び跳ねた。
「あ、ごめんね、起こしちゃった?」
ルルアンタがベッドから起き上がる、衣擦れの音がする。
「ううん、今寝ようとしてたとこ。」
そっか、と力なく答える。
暗闇の中で、ルルアンタは気配だけで義姉の異変を察知した。
「…何かあったの?大丈夫だった?」
ユラテは慌てて明るく振舞う。
「なんにも!気持ち良かったよ!」
「そっか。良かった。」
ルルアンタの言葉に、ほんのりと胸が痛む。
泣いてしまいそうだ。
「ルル。一緒に寝ていい?」
「うん、いいよ!」
ユラテはルルアンタのベッドにもぐりこんだ。
中の暖かさが、冷えた身体を温めていく。
「おやすみ、ユラテ。」
「おやすみ、ルル…。」
目を閉じると、ゼネテスと赤い口紅の女性が浮かんだ。
心だけは、温まることは無かった。
ぺたぺたと額を叩かれ、ユラテはうっすらと目を開けた。
「…んん~~~?」
かすれた声で、眉間にしわを寄せ、瞬く。
ぼんやりとした視界の中に、人間の姿が見えた。
もう一度、ぺちんと額を叩かれた。
「こら、ユラテ。そろそろ起きるんだ。」
その声に、まどろんでいた頭が一気に覚醒する。
「――ゼネテス!?」
がばりと起き上がると、確かにそこにはゼネテスの姿があった。
よ、と右手を上げて軽い朝の挨拶に、ユラテは、おはよう、と呟いた。
「下でルルアンタが朝メシの用意して待ってるぞ。」
くしゃくしゃと寝癖で跳ねた髪を撫で、ゼネテスが背を向けた。
「―――待って!」
「ん?」
思わず引き止めてしまった。
昨夜のことを言うべきか、どうしようか。
「………。」
黙ったままのユラテに、ゼネテスが首を傾げる。
「どうした?」
「……なんでもない。すぐに行くよ。」
「そうかい、じゃあ、下で待ってるよ。」
右手をひらひらと振って、ゼネテスは部屋の扉を閉めた。
ぱたん、という音が寂しく響いた。
一人になった部屋。
ユラテは後ろに倒れ込んだ。
ふかふかの枕に、頭がずぶずぶと沈んで行く。
昨夜から、心も沈んだまま。
天井をじっと見つめる脳裏に、赤い口紅の女性が浮かぶ。
ゼネテスの腕に手を回し、寄り添い歩く姿。
楽しそうな笑い声。
くすくすと陰で笑う声。
固く目を閉じ、その姿を追い払うように頭を振る。
「……忘れよう。」
そう呟くと、ユラテはベッドから起き上がった。
fin