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イシュタルは、自室の棚に飾られている煌びやかな装飾品を眺めていた。
彼女の気を引くために贈られたものたちばかりだ。
その中に、ひとつだけその場に不釣合いな物がある。
古ぼけた小さな人形。
元は可愛らしいアンティーク人形だったのだが、長年使い込まれてすっかり古くなってしまった。
服の裾もわずかに解れ、真珠色の頬にはうっすらと指紋が残り、紅い硝子の瞳もくすんでいた。
右腕は今にも落ちてしまいそうなほど壊れかけている。
(この右腕を見たとき、ショックで泣いてしまったっけ―――。)
人形を眺めるイシュタルの頬が緩んだ。
彼女にとってはこの人形こそが何よりも美しく見えた。
思い出がたくさん詰まった大事な宝物である。
幼い頃にユリウスから贈られた唯一の贈り物。
父母に連れられて何度もバーハラを訪れていた頃。
イシュタルは王子ユリウスと王女ユリアの遊び相手となっていた。
自分よりもひとつふたつ年下の彼らは、イシュタルを姉のように慕ってくれた。
人形遊びが好きなユリアに妹思いのユリウスが付き合い、イシュタルもそれに加わった。
あるとき、いつものように三人で人形遊びをすることになった。
「イシュタルには、これをあげるね。」
そう言うユリウスから手渡された、一体のアンティーク人形。
蜂蜜色の長い髪は緩やかなウェーブを描き、フリルのついた真っ白なドレスを着ている。
一目見て、とても高価なものだと分かった。
「…ありがとうございます。」
イシュタルはおずおずとした手つきでそれを受け取った。
「その子はね、イシュタルの目の色に似てるんだ。」
ユリウスが人形の目を覗き込み、そしてイシュタル可愛らしい笑みを向けた。
その無邪気な笑顔に、思わず胸が高鳴る。
「そう、ですか…?」
抱いている人形を目の高さまで持ち上げた。
ぴかぴか光る紅い硝子玉に、自分の姿が映る。
「とってもきれいな、紅色だよ。」
ね、とユリウスがユリアに向き合うと、少女も微笑みながらこくりと頷いた。
イシュタルは、ユリウスの紅い瞳に似ているな、と思った。
「イシュタル、いいかい?」
ノックの音とともに、主の声。
はっと我に返ったイシュタルが慌てたように返事をすると、ユリウスが入ってきた。
イシュタルは彼に向き直り、一礼する。
こつこつと靴音を鳴らし近づいてきたユリウスは、イシュタルの隣に並んだ。
「何をしていたんだい?」
面を伏せたまま、イシュタルが答える。
「いえ、何も…。」
ふふ、と小さな笑みを漏らした後、ユリウスは目の前に立つ棚を見上げた。
「君の気を引くために、諸侯も必死なものだな。」
「………。」
くつくつと低く笑いながら、ユリウスの目は棚に置かれている装飾品たちを順番に追っていった。
そして、ふと、あの古い人形の前で止まった。
「ほう、これは。」
「あ…。」
ユリウスは人形を手に取った。
イシュタルの目が、主の横顔と人形を交互に見やる。
「それは、幼い頃にユリウス様が私に下さったもので…。」
懐かしさでほんのりと頬を朱に染めながら言ったイシュタルだったが、
「こんな古いものは捨てておけ。」
ユリウスの思いがけない一言に言葉を失った。
「もっと新しくて綺麗な人形を、君に贈ろう。」
握られた人形の曇った紅い目には、イシュタルに向けられたユリウスの無邪気な笑顔は映っていなかった。
「そうだ、新しいといえばね、僕も新しい“玩具”が欲しいんだ。」
ユリウスは持っていた人形を無造作に棚に戻した。
そして、子供のように無垢な笑みを浮かべイシュタルの手を取った。
「ね、イシュタル。新しい“玩具”を持ってきてよ!」
血のように紅い瞳をきらきらと輝かせている。
この瞳は、幼いときに出会った頃と少しも変わっていないのに。
「…はい。仰せのままに。」
貴方も私も、いったいいつから壊れてしまったのでしょうか。
fin