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その日はいつもより少しだけ忙しくて、遅めの昼食を済ませても仕事は続き、
一仕事終えた頃にはもう陽はとっぷりと暮れていて、白い月が夜空に浮かんでいた。
月を眺めながら長くてほの暗い廊下を歩き、疲れて思考の鈍った頭で考えることは、
(これからどうしようか…)
(夕食を食べようか…)
(いや、先に入浴しようか…)
(それとも、今日はもう寝てしまおうか…)
(明日も忙しいのかな…)
判断がつかないまま、明かりが漏れている一室の前を通り過ぎようとしたとき。
「お、フィンじゃないか。」
ちょうど扉が開いて、中から顔を出したのはアレクという青年だった。
「アレク殿。」
立ち止まり、アレクから少し視線を逸らして部屋の中を見てみると、他にも数人の影が見えた。
微かにアルコールの臭いが鼻先を泳いでいった。
「ちょうど良いところに来た。お前も一緒に飲もうぜ。」
「え、え?あの…。」
既にほんのりと酔いの回っているアレクは、フィンの腕を掴むとそのまま部屋へと引きずり込んだ。
そしてそのまま、朝方まで、彼らとあまり飲めない酒に付き合ってしまった。
朝日が昇っているので部屋で一眠りするわけにもいかず、冷たい水で顔を洗った後、
再び昨日と同じく、いつもよりは少しだけ忙しい一日が始まった。
大した量ではないがアルコールの入った頭は、仕事をしている身体を重くさせて、
昼もとうに過ぎた午後には、見かねた主が笑いながらフィンを早くに下がらせた。
申し訳なさそうに頭を下げるフィンだが、視界の端には普段と変わらぬ様子のアレクたちの姿が見え、ふらふらになってる自分の未熟さに、より深く頭を下げてその場を後にした。
(アレク殿たちは、何故平気なのだろう…)
(やはり、僕はお酒はダメだ…)
(キュアン様には申し訳ないが、やっと休める…)
疲れて頭は鈍っているのに、どういうわけか頭の中は勝手に何かを思っていたいらしい。
へたりと肩を落としたとき、後ろから弾んだ声が聞こえてきた。
「フィーンっ。」
フィンの手を掴み、金色の長い髪を靡かせて顔を覗き込んできたのは、ラケシスだった。
「ら、ラケシス様…。」
ラケシスはじっとフィンの顔を見つめながら、大きく息を吐いた。
「やっと見つけましたわ、フィン。今日はもう、お仕事は終わりましたのね?」
そう述べるラケシスの瞳は嬉しそうに輝いていて、そこでフィンははたと気がついた。
忙しい毎日だったので、ラケシスと二人きりになったことだけではなく、
ラケシスの顔をまともに見たことすら、久し振りだった。
しまった、というような表情のフィンに、ラケシスはまだ幼さの残る可愛らしい笑顔を見せる。
「フィン、これから私に槍を教えてくださいな。」
傾きかけた陽が見える広い稽古場に、槍と槍がぶつかり合う音が響く。
久し振りにフィンと一緒にいることが嬉しいのか、ラケシスはやけに張り切って槍を振う。
対するフィンは、自分もラケシスと一緒にいることが嬉しいのだけれども、
疲れがそれを素直に喜ばせてくれなくて、振るわれた槍を受け止めるので精一杯だった。
(疲れた…)
(眠い、かも…)
(でもここで断ってしまえば、ラケシス様に悪い…)
(せっかく、ふたりきりなのに…)
(あ、でも、こんなところをキュアン様に見られたりしたら…)
疲れと眠気で足元はよたよたとおぼつかなくて、鈍った頭の中は雑念でいっぱいだったために。
「フィン!」
ラケシスの短い叫び声を最後に聞いて、そこでフィンの記憶は途絶えた。
目を閉じたまま微かに手を動かすと、ぼやけた頭がゆっくりと覚醒してきた。
それと同時に、身体中の感覚も少しずつ戻ってくる。
「………んん………。」
そっと額に手を伸ばしたとき、ひんやりと冷たいものに触れたのが分かった。
「あ、フィン、目が覚めましたか?」
ちょうど顔の真上、真正面からの声にうっすらと目を開けると、そこにはほっとした顔で見下ろすラケシスがいた。
「………?ラケシスさま……?」
「良かった、心配しましたのよ。突然、倒れてしまうから…。」
「………?」
まどろむ頭でこれまでの経緯を思い返してみた。
ぽつぽつと記憶が部分部分に思い出されてくる。
首だけを動かして周りをゆっくりと見渡す。
窓の外は濃い紫色の空に、白い月。
すぐ目の前にはラケシス様のお顔があって、
頭の後ろにはやわらかい感触があって―――。
そして、今現在自分がどんな状況にいるのかを瞬時に把握した。
かばり、と勢い良く上半身を起こすと、額にあった布が胸元に落ちた。
「す、すみません!ラケシス様!」
フィンの顔は動揺して耳まで赤くなっている。
その様子を見て、ラケシスはくすくすと笑いながら離れようとするフィンを制した。
「そんなにすぐ動いては危ないです。横になってくださいな。」
どうぞ、と小首を傾げながらにっこり微笑む。
フィンの目線は、ちらり、とさっきまで自分が頭を乗せていた場所へ。
紅いスカートの下から見える白い肌に目が留まる。
「いえ!そういうわけには…。」
慌てて視線を戻し、顔を真っ赤にして、口調はしどろもどろになっている。
フィン、とラケシスは名前を呼ぶ。
その口振りは落ち着いていて、そして、とても愛しそうに。
「私がそうしたいのです。ね、お願い。」
ふわりと微笑む顔は、野に咲く花のように可憐で可愛らしい。
「……………。」
ほんの少しの間を置いて、その間に頭の中は彼女への愛しさで埋まっていき、
やはり顔を赤くしながらしどろもどろに「では…」と言うと、
やはり小首を傾げてにっこり微笑みながら「どうぞ。」と弾んだ声が返ってきた。
すとん、と頭がそこに納まると、ゆっくりと目を閉じた。
ラケシスがフィンの前髪をさらさらともてあそぶ。
フィンの心臓はどきどきと脈打ち、頭の後ろはふわふわして、額はむずがゆくて、決して心安らぐとはいえないけれど。
それでも、ほっとするような気持ちになるのは、何故だろう。
fin