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静かな部屋の中で、紙の上を走る羽ペンの音が響く。
キュアンは時々その手を止め、書類を見て唸り、再びペンを走らせる。
その繰り返しが、何時間も続いていた。
政務に追われる毎日で、一日のほとんどをこの執務室で書類に囲まれて過ごしていた。
ようやく、その日最後の最後の書類にサインをする頃、すっかり夜も更けていた。
書記官達を下がらせ、部屋に一人きりになり、キュアンは緊張の糸が解けたように椅子に沈み込んだ。
大きな溜め息をついてから、自分も部屋を出ようと椅子に手を掛けたとき。
「おとうさま!」
ばたん、と大きな音を立てて、愛娘が部屋に入ってきた。
「アルテナ。まだ起きていたのか?」
キュアンは、自分の膝に飛びついてきた愛娘を抱きとめた。
いつもならもう寝ている時間だというのに、娘は明るい笑顔を見せている。
「お父様におやすみなさいを言うまで寝ないって、きかないの。」
アルテナの後に続き、エスリンが銀の盆を持って苦笑しながら入ってきた。
今日この日、久し振りに見る妻と娘の姿に、思わず頬が緩んでしまう。
「エスリン。」
「お疲れさま、あなた。お腹空いてるでしょう?」
エスリンはにっこり微笑むと、手に持っていた盆を机に置き、お茶を淹れ始めた。
用意された焼き菓子と紅茶の甘い香りが鼻をくすぐる。
娘を膝の上に座らせ、キュアンはエスリンからカップを受け取った。
「ありがとう。頂くよ。」
暖かい紅茶をひとくち口に含むと、ほうと息を漏らした。
「おとうさま、アルテナね、寝る前にご本を読んでほしいの。」
膝の上に座っている娘の大きな目が、見上げて言う。
「アルテナ、お父様は疲れていらっしゃるのよ。」
エスリンが困ったように娘をたしなめると、アルテナはつんと唇を尖らせる。
「だって、おとうさまお仕事ばっかりで、遊んでくれないんだもの。」
顔は自分にそっくりだが性格はエスリンにそっくりだな、とキュアンは密かに微笑んだ。
娘のお転婆振りに手を焼いている妻にこんなことを言うと、怒られてしまうので本人の前では言えない。
代わりにキュアンは娘を抱き上げた。
「わかった、アルテナ。一緒に本を読もうか。」
「ほんと?」
アルテナは目を輝かせた。
「あなた。お疲れではないですか?」
エスリンは心配そうにキュアンの顔を見つめる。
そんな妻を安心させるかのように、キュアンは優しく言った。
「平気だよ。確かに最近、アルテナと一緒にいることが少ないからね。」
アルテナは普段、母親のエスリンやフィン、乳母たちと遊んでいる。
その姿を窓から眺めては、微笑ましく思うものの、父親として焦る部分も多少はあった。
きっと、エスリンもそのことを薄々感じ取ったのだろう。
アルテナの頭を撫でながら、苦笑して言った。
「…わかりました。では、アルテナをお願いしますね。」
茶器を載せた盆を片付けた後、エスリンは気になってアルテナの部屋を覗いてみた。
「………。」
そっと扉を開けて見た先には、ランプの光も付けっぱなしで、ひとつのベッドに眠る二つの影。
すやすやと規則正しく寝息を立てているのは、アルテナとキュアンだった。
本を読んでいる間に、二人とも眠ってしまったのだろう。
エスリンは思わず笑みをこぼし、部屋の中に入って後ろ手で扉を閉めた。
音を立てないようにそろそろと近づき、二人の寝顔を見下ろす。
娘の大きな瞳は長い睫毛に守られながら閉ざされている。
その無邪気な表情が、隣で寝ている夫とそっくりなのが可笑しくて堪らない。
キュアンは、娘を大事そうに包み込むようにして眠っていた。
いつも政務に追われ、娘との時間がなかなか取れない夫。
そのことを顔には出さないけれど、本当はとても気にしていることを妻は知っていた。
アルテナが寝入った頃に仕事を終え、自分が寝る前にアルテナの部屋へ様子を見に寄る。
娘の可愛らしい寝顔に頬を緩めるキュアンの表情は、幸せそうだけどどこか寂しげだった。
しかし、今この寝顔はとても安らかで、まるで子供のようだ。
(………わたしもここで寝ちゃおうかしら。)
親子三人で、ひとつのベッドで眠るなんて、初めてのことだ。
うきうきとした表情で、エスリンはアルテナのベッドに入り込んだ。
エスリンは、アルテナのふっくらとした頬にキスをした。
そして、少しだけ身を乗り出して、キュアンの頬にかかった髪を優しく払いのけて。
「おやすみなさい、キュアン。」
愛しそうに目を細め、呟きながら、その頬にキスをした。
fin