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少女の声が自分の名前を呼ぶのが聞こえたら、小さな溜息が自然と出てしまうようになったのはいったいいつ頃からだったろうか。
その日も、
「シャナンさまーっ!」
後ろから明るい弾むような声が聞こえてきた瞬間、癖のようについて出た溜息と同時に頭の中には次のシーンの予測が始まる。
名前を呼んだ時のような軽やかさで、少女の身体がシャナンの背中へと体当たりして――正確には抱きついて――くるのだ。
予測したとおりなのは、これが自分も少女もまだ幼かった頃からの日常茶飯事だから。
幼い少女は自分によく懐いてくれていた、兄や父親へ甘えるかのように。
ただ、あの頃と大きく変わってしまったのは―――。
「シャナン様、見つけました!」
嬉しそうに頬を背中にすり寄せて、前に回された手がぎゅっとシャナンの身体を掴む。
その力も幼かった頃に比べたら当然強くなっているし、なによりも、
背中に当たる少女の胸の感触が、この日常茶飯事時のシャナンを困らせる一番の要因となっていた。
ごほん、と咳払いをしてから大人の風格でシャナンは少女をたしなめる。
「ラクチェ。離れなさい。」
そう言うと必ず、少女――ラクチェは
「だって好きなんですもん、良いじゃないですか。」
意に介することも無く、余計にぎゅっとしがみついてくるのだった。
シャナンの心の内など知るわけも無く。
とはいえ、別に女性の胸にどぎまぎするような純情な年齢でも性格でも無い。
問題は、幼い頃から知っている少女の変化、なのである。
「だって好きなんですもん。」
その言葉どおり、ラクチェは自分を好いてくれている。
兄や父親へ甘えるかのような懐き方は、年を経て恋愛感情へと移行していた。
少女の想いに答えたシャナンではあったが、少女の変化は性格へはもたらされていなかったようだ。
ラクチェを背中に、シャナンはもう一度溜息をついた。
不意打ちを喰らったのは、夜だった。
稽古の後は自室で剣を磨くシャナンは、自分でも気づかないほど熱中していたのか、扉が開いたことに気づいていなかった。
「シャナンさまっ!」
扉側に背を向けてベッドに腰掛けていたことに加えて、突然のラクチェの声と体当たりである。
シャナンは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「うお!?」
後ろから抱きつかれて前のめりになり、ベッドのスプリングも大きく揺れた。
「ヒマなんです、シャナン様。お話しましょう。」
シャナンの驚きもスプリングの揺れも気にしてない風の明るい声に、シャナンはやはり溜息をついた。
「お前なぁ…。」
――そういえば、と肩越しにラクチェを見ながら思い出す。
幼い頃、こうしてベッドでセリスやスカサハたちと共に遊んでいたこともあった。
ベッドの上を飛び回ってエーディンに怒られたことやシーツを被って怖い話に興じたことも。
しかし今はそんな昔の思い出に浸っている場合ではない。
ラクチェはこの状況をわかっているのだろうか。
ひとつの部屋に、男女が、ベッドの上で、二人きり。
もちろん、別にそんなシチュエーションにどぎまぎするような純情な年齢でも性格でもない。
ラクチェに対して恋愛感情はあるものの、幼い頃から知っているが為に困惑の方が大きい。
いつまでも幼い子供のような無邪気な娘を心配する父親の気分だ。
「…危ないだろうが。」
「あ、剣の手入れ中だったんですね、ごめんなさい。」
言いながらひょっこりとシャナンの手元を覗き込むが、離れようとする気はないようだ。
相変わらずの背中の感触は、考えないことにした。
「まったく。」
シャナンが再び剣の手入れを始めようとすると、ラクチェが頬を膨らませた。
「あっ!シャナン様、お話しましょうよ!あたし、シャナン様とお話したくて来たんですから!」
話をする気なら普通は向き合ったりするんじゃないのか。
ラクチェは後ろからシャナンの背中と首筋に巻きついた状態でゆさゆさとシャナンの身体を揺さぶってくる。
爆発して、とか、我慢ができなくて、とかそういう類のものではない。
気がついたら、ベッドを軋ませながら、シャナンはラクチェを組み敷いていた。
ランプと月明かりだけしかない空間である。
それらに照らされたラクチェの肌や瞳の色に一瞬どきりとしたことは確かに認めるが―――
「ラクチェ。あんまり甘えてくると恐い思いをするぞ。」
あくまでも、大人として、父親的存在としての意見のつもりだった。
厳しく言えば、忠告、とか、説教、とか脅し、かもしれない。
組み敷いた後は何をするかも特に考えていたわけでもない。
きっとこれでラクチェも大人しくなるだろう、その程度の考えだった。
しかし。
「良いじゃないですか。シャナン様にしか甘えたりしないんですから。」
こんなことされて動揺するだろうと思っていたラクチェは意外とあっさりしており、
更にはあっけらかんとした言葉を返してきたので、逆にシャナンの方が動揺した。
「な、なに?」
ラクチェの瞳はしっかりとシャナンを見上げている。
幼い頃の面影はあるが、成長してまた一段と母に似てきたのではないだろうか。
そういえば、こうして真正面からじっくりと彼女の顔を見たことはあまりなかった。
―――自分はいつまでも変化の無い人間だったのだな、との思いがうっすらと頭の中を過ぎった。
そんな考えを巡らせて固まっていると、
「大好きな人にしか、甘えませんよ。」
にっこりと微笑まれて
さて、この後は、どうしようか。
fin