[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
新緑の草原に立つティニーは、頬をすり抜けていくやわらかな風に目を閉じた。
さらさらと涼しげな風の音に混じって、緑の香りが舞い上がる。
時は未だ戦争中だというのに、好きな人と過ごす束の間の休息は安らかな気持ちにさせた。
好きな人――
ティニーはその人を思い、唇の端にふと笑みを漏らした。
解放軍盟主であるセリスと恋仲になったのは、つい最近のこと。
自分のことをよく気に掛けてくれたことから始まり、
戦いのときに見せる凛とした表情や普段の少年のように無垢な笑顔、真っ直ぐな心を見るうちに、
ティニーの目は自然とセリスの姿を追うようになっていた。
「ティニー。おまたせ。」
名を呼ばれてはっと目を開けると、隣には蒼い髪をなびかせたセリスの姿があった。
その手には、真っ赤な林檎がふたつ。
「おかえりなさい、セリス様。」
その言葉ににっこりと笑みを返したセリスは、持っていた林檎のひとつをティニーに渡した。
「はい、これ。もらってきちゃった。」
差し出された赤い林檎に目を瞬かせて少々戸惑いながらも、両手で包み込むようにして受け取った。
まあるい形にひんやりとした感触が伝わってくる。
「ありがとうございます…。」
彼女が受け取ると、セリスは腰を下ろした。
それにつられてティニーもおずおずと腰を下ろしたが、両手のひらの中にある林檎の所在に戸惑う。
隣のセリスに目を向けると、セリスは自分の袖口で林檎の表面をごしごしと磨き、そのままかじりついた。
かし、という歯切れの良い音とともに、甘酸っぱい匂いが漂ってきた。
公子らしからぬ行動に、ティニーは思わず目を丸くする。
その様子に気がついたセリスが笑いながら問いかけた。
「ティニーは、こういう食べ方は初めて?」
「…はい。」
答えて、ティニーは顔を赤くした。
解放軍に入る前は、由緒ある公爵家の一員として暮らしていた。
伯父伯母の許でそれなりに不自由のない生活を送っていたが、決して楽しいものではなかった。
辛い思い出の方が多すぎる。
そのことを知っているセリスは、普段も彼女に優しく接し、楽しい話をして和ませてくれた。
ラナやスカサハたち幼馴染との思い出話を、小さな子供のように目を輝かせて語る彼の姿に、
ティニーは羨ましく思うと同時に、セリスも解放軍として起ち上がる前は辛い経験をしていたのを思い、
彼の優しさに改めて好意を寄せるのだった。
「僕はこうやって食べることの方が多かったな。オイフェからお金をもらって、みんなで街へ行くんだ。
そのときにお店で林檎を買って、遊び疲れた後におやつとして食べたんだ。」
そのときのことを思い出し、セリスはくすくすと笑いをこぼした。
「みんな」と聞いて、ティニーの脳裏にはすぐにセリスの幼馴染たちの姿が思い浮かぶ。
セリスと一緒に育ったからだろうか、彼らもまた、賑やかで優しい人たちだった。
「…羨ましいです。」
ぽつりとティニーが呟いた。
両手のひらの中に納まりきれないほどの林檎を見つめながら。
「私には、楽しい思い出がありませんから。」
と、顔を上げて笑みを浮かべたがどこか悲しそうなものだった。
「楽しい思い出がないんだったら、作れば良いんだよ。」
そう言うなり、セリスはティニーの肩に手を回し引き寄せた。
「一緒にね。」と付け加えると、こつん、と二人の頭がぶつかった。
肩に回された手、すぐそばにあるセリスの顔に、ティニーは耳まで赤くなった。
「え、あ、えっと…。」
まごついているティニーの様子を見て、セリスは手を離してくすくす笑う。
そして、林檎をもうひとかじり。
甘酸っぱい香りが漂ってくる。
どきどきと心臓を高鳴らせているティニーは、そんなセリスの見れずにうつむいたままだったが、
手のひらを置かれた肩やこつんとぶつかった頭がほんのりと熱を持ったようになっていて、
――一緒にね――
その言葉を心の中で反芻させると、胸が温かくなっていくのを感じた。
「…セリスさま…。」
うつむいたままの小さな声で名前を呼ぶ。
「うん?」
それでもセリスはちゃんと聞き取って、優しい笑みを向けてくれた。
「…今日のことも、楽しい思い出のひとつになりますよね。」
「そう思ってくれたら、嬉しいな。」
「………。」
真っ赤な林檎を見つめる。
赤くてまあるいそれが、なんだか特別な宝石のように思えた。
セリスを真似て袖口で林檎の表面を磨いた後、思い切りかじりついた。
口の中に転がり入った欠片からは甘酸っぱい香りが広がる。
きっと、この先、私は真っ赤な林檎を見るたびに今日のことを思い出す。
fin