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剣を鞘に収めた頃には、周りは血の海だった。
遠くでは荒々しい声と金属がぶつかり合うような音が響いているというのに、
長い黒髪をなびかせている彼女――アイラの周りは異様な静寂に包まれていた。
足元には、敵兵ばかりが転がっている。
全て、彼女に襲い掛かってきた者たちだ。
アイラにとっては一人で充分すぎるほどの相手であり、それが今の結果である。
後ろから、馬が駆ける音が聞こえてきた。
剣に手を掛けて振り返るが、その相手が誰だかわかると、初めて笑みが零れた。
「アイラ様!」
馬に乗っていたのは、ノイッシュだった。
赤い鎧で身を固めた、シルグドの部下の一人。
誠実で生真面目な青年である。
アイラは密かに彼のことを気にしていた。
「ノイッシュ。」
意識しているわけではないのに、声が弾む。
ノイッシュが馬から降りて駆け寄ってきた。
向かい合うと、自然と目線が上がる。
彼は背が高かった。
「アイラ様のお姿が見えたものですから。」
ノイッシュがふわりと微笑むだけで、アイラは自分の胸が高鳴るのを感じた。
進軍中、彼は自軍の者に対してこまめに気を配る。
常に周りを見て、常に戦闘状況を把握しようとする姿勢は、本当に生真面目だと思う。
「状況は?」
「我が軍が有利です。このまま攻めれば、勝利も近いでしょう。」
ところで、とノイッシュが辺りを見回した。
「アイラ様、お怪我はありませんか?」
倒れている敵兵たちを見て、ノイッシュは全てを察したのだろう。
何気ない問いかけも、アイラにとっては特別なものに思えた。
「ああ、大丈夫。」
なんともない、と両手をひらひらさせたが、ふいにノイッシュが手首を掴んだ。
一瞬、心臓が跳び上がる。
「アイラ様、お怪我が…!」
そう言われて、初めて自分が怪我をしていることに気がついた。
右腕から血が流れている。
返り血だろうと思い込んでいて、全く気がつかなかった。
「…でも大した傷ではない。」
掴まれている手首から微かに伝わる体温に、どぎまぎしてしまう。
「応急手当だけでも。」
そう言うと、ノイッシュは馬の背から道具を取り出した。
木陰に腰を下ろす。
いざ向かい合うと、変に意識してしまい、アイラはノイッシュを真正面から見られなかった。
彼女がそんな思いでいることを全く知らないノイッシュは、慣れた手つきで治療を始めた。
右腕の袖を捲くり、白い包帯が巻かれてゆく。
ノイッシュのごつごつした手が、妙に愛しく感じた。
ちらりと目線だけを動かし、彼の顔を覗き込む。
緑色の瞳はただ白い包帯だけを見つめている。
それが嬉しくもあり、密かにはがゆくもあった。
「終わりました。」
その声で、アイラははっと我に返った。
「あ、ありがとう。」
「いいえ。」
ノイッシュは微笑み、軽く頭を下げた。
「念のため、一度後退してみては?」
いちいちそういう気配りが、アイラにとってどんなに嬉しいことか。
ノイッシュは、常にアイラだけを心配しているわけではない。
しかし、今はアイラのことを気に掛けてくれている。
アイラは力強く頭を振った。
「大丈夫だ。行こう。」
「…はい。」
嬉しくて紅くなった頬を見られないように、アイラは立ち上がるとすぐに背を向けた。
fin